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散歩の途中 ⑩

世間はもう11月の後半である。街にはすでにクリスマスの飾り付けをしているところがある。なんでそんなに急ぐのん!僕のブログはまだ9月や!ちゅうのに、である。もう完全に世間に置いてきぼりである (家のものに言わせると、あんた、昔からずっと置いてきぼりやで!やてっ)。皆さんは覚えていますか?今年の9月は天気の悪い日が多かったのを。それでも雨の降ってない日には相変わらず散歩に出かけていたのです。9月と言えば秋祭りである。僕の住んでる浅草から隅田川を越えた向こうのディープな下町ではベランダの下を大人のお神輿や子供神輿がピーヒャラピーヒャラと練り歩いてます。散歩していても町内の角を曲がるたびにお神輿に出会うような気がします。そんな中、向島5丁目あたりで出会ったお神輿には牛や狐(?)の被り物を被った子供や大人がいてカメラを向けるとポーズを決めてくれた。(またまた、生ぽけもんGO!ゲットや!えっ、もうブーム終わったん?)

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暑さのせいか道端で休んでいる狐さんもいる。しかしこんなお神輿は見たことがなかった。ひょっとしたら近所にちょっと大きな牛島神社というのがあるからそこから助っ人に来てるのかもしれない。ちなみに僕は今まで一度もお神輿を担いだことがありません。これからもたぶんないと思います。

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次回はたぶん10月の話です。まだまだ置いてきぼりです。いつか世間に追いつき追い越すことが出来るのだろうか?もう手遅れやて、ほっといて。

ということで、今回のBGMは大好きなトランペット奏者、ロイ・ハーグローブのビッグバンドのアルバム「エマージェンス」から’セプテンバー・イン・ザ・レイン’です。



ぼくのたからもの(仮)

イラストレーターの大大先輩の灘本唯人さんが7月に亡くなった。90歳だったそうです。すごいなぁ。僕は40歳で大阪から東京に出て来て、50歳を過ぎてからあこがれの東京イラストレーターズ・ソサエティー(TIS)に加えてもらった。灘本さんはそのTISの当時の会長さんでした。初めてTISの総会に緊張しながら出席し、その後に懇親会というのがあって、僕が昔から知っている有名なイラストレーターの人たちの雑談が始まりました。僕の方は絵も顔もよう知ってるけど、誰も僕のことは知らんやろなぁ、と緊張しながらちょっとだけ知ってる関西出身のひとがいたのでしゃべってました。するとそこへ灘本さんが近づいてきて、森さんは関西のひと?と聞いてきはったので、はい、大阪です。今は東京に住んでますけど。と言うと、やっぱり、関西弁はええなぁ、ほっとするわぁ。と言われた。(灘本さんは神戸の人です)それからは灘本さんは僕にはいつも関西弁で話しかけてくれはりました。ほんま、やさしいひとでした。

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そして10年くらい前、あるイラストレーターの個展のオープニングの二次会で灘本さんと和田誠さんと若いイラストレーターや編集者のひとたちと同席になったことがありました。その時、灘本さんは若いイラストレーターと編集者の人(女性)に和田さんの絵について何か説明しょうとしていたみたいで、急に僕に、森くん、和田さんの絵のまねできる?、と聞いてきはったのでぼくはびっくりして、はい、出来ると思います。と言つてしまいました。(なんといってもぼくは和田さんの絵を見てイラストレーターになりたいと思ったんですから)すると灘本さんは店のナプキンとサインペンを出してきはったので、ぼくは和田さんが描くような男の子の顔を描きました。それが下の絵です。
           森の和田さん.jpg
それを見た灘本さんは、わぁ、森くんうまいなぁ、僕はうまく描けないんや。といいながら、和田くん、森くんは和田くんの絵のまねうまいよ。とぼくがナプキンに描いた和田さん風の絵を見せはりました(えっ、灘本さん、なんちゅうことするんですか、ぼくはドキッとしました)。その絵を見た和田さんは、やっぱりちょっと不機嫌そうに、こんなのちがうよ、と言ってぼくが和田さんを真似た絵の横に和田さんがぼくの描いた和田さん風の絵を描き直してくれはりました。それが下の絵です。
           和田さんの和田さん.jpg
ぼくは思わず和田さんに、すいません、ちょっとそこにサイン入れてもらえませんか?とお願いしてしまいました。という訳でそのナプキンはぼくの宝物になりました。灘本さんのおかげです。ありがとうございました。それにしても線のきれいさ、形のバランス、やっぱり雲泥の差であります。

という訳で今回のBGMは、ビル・エヴァンス・トリオのアルバム「 ポートレイト・イン・ジャズ」から’ ブルー・イン・グリーン(テイク3)’ です。

散歩の途中 ⑨

この前、いつもブログ見てますよ、最近は散歩の話がないですが散歩してないのですか?と知人に聞かれた。いやいや相変わらず暇でほとんど毎日散歩してます。けどボーっと歩いてるだけなんで、おもろいことなんかなかなか見つかれへんのですわ。何でもええのになぁ、と思いながらいつものコースの北十間川沿いを歩いてると左手に家々に囲まれた小さい神社の前を通ります。この神社の事でも書こかな。「吾嬬(あずま)神社」というこの神社は短い参道を進むと、今どき幼稚園のグランドでももうちょっと大きいで、と思うような小さな境内があります。しかしそこに立っているとなんか遥か千年ぐらいの時の流れを感じます(ほんまかいな)。実は皆さんよくご存知の浅草雷門の前の道を隅田川を越えて、あのアサヒビールの素敵な建物の方へ行く時に渡る橋を「吾妻橋」というのは、昔この吾嬬神社へお参りする時に渡ることからその名前がついたという説があります。すごいでしょ。こんな話でええんやろかなぁ。ついでに言うと雷門からこの吾嬬神社までは歩いて40分くらいかかります。

          吾嬬神社.jpg

と思いながら歩いているとよこを二台の自転車がピューっと通り過ぎていった。危ないなぁ、けどなんかパイナップルみたいやったなぁ、と思ってるとちょっと先で二台の自転車が止まった。近づいて見ると上下パイナップル柄の服(これ何と言うか知りません)を着た中学生くらいの男の子であった。なんかファンキーでええなぁー、と思ってとっさにカシャッとシャッターを押してその男の子ふたりをキャッチした。これをぼくは生ポケモンGO!と言うてます(ガラケーなんで)。という事で世間は夏まっ盛りであるが僕にはなんの予定もない、いつもの夏である。

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今回のBGMは夏まっ盛りやからやないで、いつ聞いてもええ、ザ・ビーチ・ボーイズアルバムペットサウンズ」から ‘ ゴッド・オンリー・ノウズ ‘ じゃ、どやさ。


遠くへ行きたい④

5月の終わり、久しぶりに大阪へ行きました。一泊二日の旅である。1967年春、母と、駅前の大きなお屋敷の庭先になんか喫茶店みたいなんできるらしいなぁ、と話していた。阪急宝塚線曽根駅前に5月のゴールデンウィークにオープンしたその店は小さな山小屋風の喫茶店で「タンネ」という名前でした。オープンの日、さっそく母と姉を誘って行きました。店内はカウンターとテーブルが3つくらいでしたが小さな庭があってぼくらはそこで珈琲を飲みました。それからは毎日のようにタンネに珈琲を飲みに行くようになりました。店はお父さん(マスター)と娘さん二人(ママさん)とでやってはりとても居心地が良かった。それでぼくはカウンター席に座ってダラダラと世間話をしながら長いときは8時間居たことがあるみたいです。それでウエイターのバイトをしたこともありました。イラストを描くようになってからはメニューを描かせてもらうようになりました。ぼくが初めてイラストを描いてお金を貰ったのはタンネのメニューだと思います。最初は紙や木に描いたりいろいろやりました。木版画をやるようになってからはシルクスクリーン印刷で小冊子のようなメニューを作りました。ぼくが東京へ引っ越してからも個展の時にはお父さん(マスター)はわざわざ見に来てくれました。今でも展覧会をすると二代目のマスター(息子)や何代目かのママさん(末っ子の娘さん)が見に来てくれます。そんな「タンネ」が50周年のイベントでぼくの版画のコレクションを展示してるので見に来ませんか?と誘ってくれたということです。50年は長いなぁ、と思いますが、あっという間やったなぁ、という気もします。

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二日目は午前中にどうしても行っておきたいところがあった。阪急曽根からひと駅宝塚よりの岡町の商店街にある八百屋のケンちゃんのとこである。ケンちゃんはぼくの兄の小学校、中学校の仲のいい同級生である。ケンちゃんはよくぼくの家に遊びに来ていた。兄がアメリカに留学して留守の間もよく夕方にバイクに野菜を積んで母のところに持って来てくれた(そのころ我が家は母子家庭で下宿屋をしていた)。母と兄のことを話したあと毎回決まってぼくに、元気か?相撲取ろか?かかってこい!といってはぼくを投げ飛ばします。ケンちゃんは柔道初段でした。なのでぼくはケンちゃんが来ると、うっとうしいなぁ、と思ってました。でもきっとケンちゃんはぼくが兄が居ないので寂しいやろ、と思って相撲を取ってくれてたんやろなぁ、と思えたのは大きなってからでした。それから結婚して引っ越す時や、その後の2回の引っ越しのたびにケンちゃんは仕入れ用のトラックを快く貸してくれた。いい人である。今回兄のことを話しとかなあかんなと思って尋ねることにしました。店に着いたらぼくの顔を見るなりケンちゃんは、おまえ!早よ言うて来んかい!一週間前に聞いたは!と怒られた。ぼくは兄のことをいろいろ話した。お前の兄貴はほんまオモロイやつやった!そして帰り際にケンちゃんが言った、こんど、夕方来いや!茶でも飲も!と、そうか午前中の八百屋は忙しいんや。えらいすんません!これでぼくの大阪の旅はおしまい。

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てな訳で今回のBGMはパット・メセニー・グループで ‘ラスト・トレイン・ホーム’です。東京へ出て来て28年たちもう大阪には実家も親兄弟も居てないけれどやっぱり大阪へは、帰る、という気分になりますなぁ。





緊急告知!

福音館書店「こどものとも」7月号の「おとうさんのうまれたうみべのまちへ」(作 小嶋雄二)という絵本に絵を描きました。九州唐津からバスに乗ってちょっと行った先の呼子という町で毎年6月に行われる「大綱引き」のお祭りを題材にしたお話です。最初に呼子の大綱引きの取材に行ったのは2013年の6月です。足掛け3年かかりました。

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ぼくにとって物語の絵本の絵を描くのは初めてでした。いつもはだいたい一枚の絵で終わることが多いのですが、物語なので場面が次々につながっていくのを描くのに苦労しました。しかし呼子の町並みは魅力的でした。下の絵はその町並みをイメージして描きました。只今、全国の書店で発売中!

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ということで今回のBGMはロッド・スチュワートの ‘ エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー ‘ やけど、そのまんまやなぁ!と言わんとって下さい。



ぼくのカメラ

私ごとですが(ってこんなブログてどれもわたくしごとですやん!)最近コンパクトデジタルカメラを買いました。8年ぐらい使ってた前のカメラは、取材中に地面に落としてしまい、それ以来撮影画面に白い筋が入るようになってしまいました。そのカメラはテレビのコマーシャルでは「きみまろズーム」というキャッチフレーズで綾小路きみまろのような中高年のおっさんが遠くの熟女を10倍ズームでパシャッとどアップで撮って大きなモニター画面で見れまっせ!と言っていた。熟女好きで老眼がきつくなったぼくはこれがいいと思ってネットで買いました。実際使っていると自分ではあまり使わない機能がけっこうあることがわかりました。例のズームも熟女の顔のアップなんかあんまり撮る機会あれへんし、シーンモードで料理や花火や赤ちゃんも撮ることもないし、暗いところでストロボで撮るのはあんまり好きやないし、かんたんモードとかいうのも使うのしゃくやし(なんで?て、昔写真学校に行ってたし、中退やけどね)。それで今度はいろいろ調べてこのカメラ(Lumix LX100)にしました。ズームは3倍、ストロボは無し(レンズが1.7と明るい)、シーンモードも無い、けど小さいファインダーが付いている(これが調整すると老眼鏡なしでちゃんと見える!うれしい!)。シャッター優先や絞り優先やマニュアルフォーカスも選べる。もちろん簡単なオート撮影も出来ます。 要するにチョット昔のフィルムカメラのような感じを持っているコンパクトデジタルカメラです。(ほんま古い人間なんで)

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それで今はどこへ行くのもこのカメラを持ってます。まだまだちゃんと扱えないのでちょくちょく失敗もしてます。下の写真は今住んでるマンションから夕方の街を撮ろうと屋上へ上がったら大きなカラスが二羽カァー、カァーと鳴きながら飛び回っていました。そういえば最近ベランダの洗濯物を干すハンガーをガチャガチャいわせて盗もうとしてるカラスの夫婦がおるで、とヨメさんが言うとったけど、お前らか!ここに巣を造ろうと思てんのか!ちょうどええは、証拠の写真とったろうと思ってカメラを構えたらビュ
—ッとこっちに飛んで来てびっくりしました。が負けずにこっちもバチバチ写真を撮ってやりました。もう、危なかったし怖かった。そのうちカラスの夫婦も落ち着いて来たのかアンテナに止まってひと休みしました。その瞬間に撮った今日の一枚「カラスの休憩」です。写真はクリックして大きくして見てね。

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てなことで今回のBGMはスティーヴィー・レイ・ヴォーンの ‘ザ・スカイ・イズ・クライング ’ です。泣いてんのは空でもなく、カラスでもなく、ぼくですけど。


ちょっと昔噺①

兄がバリ島でガンで亡くなりました。ぼくより4歳年上です。兄は20歳過ぎにブラジル丸という移民船に乗って単身アメリカのロサンジェルスに渡りました。そしてカリフォルニアの美術大学留学して26歳の時に卒業して日本に帰ってきました。その頃ぼくは、イラストレーターになれたらええなぁ、とぼんやり考えながらデザイン事務所の見習いで働くのですが、3ヶ月くらいすると、やっぱり才能ないわ、と思って辞めてしまいます。そして3ヶ月くらいブラブラして、またやっぱりイラストレーターになりたいなぁ、と思って新聞の求人欄でデザイナー募集(見習可)を探しては就職し、また3ヶ月くらいすると辞める、というのを3年間に7回ぐらい続けていました。(最低です。)それを見た兄が、おまえ、そんなに就職すんのん嫌やったら、おれがこんどミナミの宗右衛門町でやるギャラリーを手伝えへんか?と誘ってくれました。ぼくはなんかわからんけど面白そうやな、と思って手伝うことにしました。そのギャラリー「モリス・フォーム」でアーティストやミュージシャンやデザイナーなどいろんな人たちと出会いその人たちのおかげで今もこうして仕事を続けられてるので、あの時兄が誘ってくれたことにはほんま感謝しています。(そのモリス・フォームで出会った人たちのことはまた別の機会に書きたいと思います。) 

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ギャラリーを始めて4年くらいたった頃、兄が、おれ、ロサンジェルスに帰る(?)わ。といってロサンジェルスに帰って(?)しまいました。それから10年ちょっとしてこんどは、やっぱりこれからは日本や!日本で絵を描くわ!といって突然大阪に帰ってきました。(お前は、寅さんか!と思いました)それから10年くらいたった時、今度は、おれ、大阪の家賃高いからバリ島に住むわ!といいました。ぼくは、ふーん、ええんちゃう、というしかありませんでした。バリ島では絵を描きながら絵画教室をしていたみたいです。ぼくは結局最後までバリ島には行きませんでした。(パスポートも持ってへんし) 下の絵は2008年に吉祥寺のトムズボックスという絵本屋さんでやった「ちょっと昔噺」という展覧会のときの絵です。先頭にいるのが兄です。兄はよく、探検に行くで!と言っては近所のこどもを近くの山へ連れて行きました。

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      今回のBGMはアレサ・フランクリンで ‘ ワン・ステップ・アヘッド ’ です。


     

展覧会のお知らせ

東京の南青山にスペースユイというギャラリーがあります。ぼくがはじめてユイに行った時は四畳半もないくらいの小さなスペースで、大阪時代の友達の土橋とし子さんというイラストレーターの小さな切手風の作品がいっぱい展示してありました。それからしばらくしてすぐそばの今の場所へ移転してずいぶん広くなりました。40歳で大阪から東京に出て来てどうやってイラストレーションの仕事をしたらいいのか何も考えてない僕に友人のK君が、それやったら、ユイで展覧会でもしたら、と言ってくれました。当時のユイでは画廊の中を二つに分けて2人の作家の展示を同時にやることができました。ぼくが一緒にやるひとは安座上真紀子さんという紙で立体のイラストレーションを作っている売れっ子のイラストレーターのひとでした。どうせ誰かと一緒にやるんやったらおしゃれな売れっ子のひとのほうがいっぱい見に来てくれてええんちゃう、というK君のアドバイスで決めました。テーマは「くんぺい」でした。大阪で飼っていた雑種の犬の名前です。オープニングパーティーのとき、安座上さんのほうには金髪の女性や、あっ、宇野亜喜良さんちゃうか!とかおしゃれな人がたくさん来てました。えっ、ほんまかいなぁ、これおもろいなぁ、ようけ、儲かってるんちゃうん、とか大きな声で喋ってるのはぼくの友人たちで、ギャラリーのオーナーの木村さんや安座上さんは眉をひそめていたにちがいありません。そんな「くんぺい」展のなかの絵です。この絵を見たある友人に、これどうみても東京から大阪へ帰ってる絵やなぁ、いつ帰ってくんのん!とイヤミを言われた。あいにくまだ東京におります。(この絵は今回の展覧会には展示していません)

           くんぺい東名高速.jpg


その後、ユイでは何度か展覧会をさせてもらいました。そして9月24日(木)から久しぶりに作品を展示することになりました。こんどは堂前守人さんという陶芸の人といっしょです。( 堂前さんの素敵な陶器を見に来られるたくさんの人に見てもらえるのでええんちゃう、って26年前と同じやり方か?)。 陶器の土と木版画の木で TEXTUREー土と木とー というテーマです。土と木と、と言うテーマなのに僕の絵はここ15年くらいの絵の中から「水」が描かれている絵(新作もあります)を展示しています。なんでやねん!とつっこまんといて。べつに意味はないんです。くわしくはこちらまで http://spaceyui.com

           jpg土と木とDM.jpg
  
    ということで今回のBGM は ジョン・リー・フッカーで “ドント・ルック・バック”です。



「よしもと」のこと

花紀京さんが亡くなった。ちょっと前に季刊「レポ」(http://www.repo-zine.com)という北尾トロさんというひとが編集している、読んでも人生の役に立たないノンフィクションが満載です!などと謳っている変な雑誌の表4の広告のページに絵を描きました。広告主は「山田うどん」という埼玉県を中心におもに関東地方で外食チェーン店を展開している会社である。編集部からは、うどんがテーマであれば何を描いてもいい、ラフも要らないし、スポンサーのチェックもありません、と言われた。うどんがテーマ、と言われてぼくがすぐに思いついたのは吉本新喜劇のうどん屋のシーンである。ごっちそうさん、おばちゃんなんぼ?きつね一杯、360万円!というと周りのみんながこける、あれです。それで花紀京さんを描くことにしました。しかし関東の本屋さんが中心の雑誌で花紀京で大丈夫かなとちょっと心配でした。絵を渡してすぐに編集のひとから、いま、デザイナーに絵を見せてしばし花紀京の話で盛り上がりました!とメールをもらいホッとしました。花紀京さんは東京方面でもマニアックに人気があるらしい。

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花紀京さんが出たのでもうひとりのスター岡八郎さんです。30年くらい前に「只今、ご紹介あずかりました岡八郎でございます。」という本のカバーに絵を描きました。ぼくは、奥目の八ちゃん、くっさーの八ちゃんが大好きでした。飼ってた犬に「はっちゃん」という名前を付けたぐらいです。名前が「はっちゃん」です。動物病院へ行くと、あーら、可愛いですね、この子のお名前は?と聞かれるので、はっちゃんです。と言うと、では、森はちですか?というので、いや、はっちゃん、が名前です。では、森はっちゃんチャンですね?うーん、チャンはいらん、と思います。アグネスチャンみたいなもんです。(チョットちゃうか?)すいませんどうでもええ話です。それ以外にも間寛平さんや西川のりおさんなどの仕事をしたことがあります。

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それよりもっと前には「マンスリーよしもと」というよしもとの広報誌みたいな雑誌の「私の好きな町/MY FAVORITE TOWN 」という毎月芸人さんが自分の好きな町のことを書くページに絵を描いてました。3、4年やってたと思います。その中から私の好きな絵を2点載せます。左は若井こずえ・みどりさん、右は原哲男さんです。どんどん好きだった芸人さんがいなくなりさびしいです。こうしてみると吉本興業には大変お世話になってたんやなぁ、と思いました。

         こずえ・みどり 原哲男.jpg

今回のBGMはよしもとの話なのでほんとは新喜劇の出だしのチャンカチャカチャカチャンチャチャカチャカチャンといきたいところですがあいにく僕のライブラリーにはないのでいちばん似てそうなベニー・グッドマンの " ライザ " にします。ちょっとかっこよすぎたかな。

ときどき親しい友人や知り合いやまったく知らないひとからこのブログにコメントをいただきます。大変嬉しいのですが返事は基本的にしませんのでどうか気を悪くなさらないで下さい。しかしコメントは大歓迎ですぜ。




「子規と荷風」展のこと

二十数年前、大阪から東京に引っ越してきて初めての連載の仕事は雑誌「東京人」で川本三郎さんの「荷風
と東京」の挿絵でした。その少し前、ある雑誌に川本さんの文章に木版画でイラストレーションを描いたと
ころ、その絵を見た川本さんが、来年から始まる連載に絵を描きませんか、といっていますと「東京人」の
編集部から電話があった。ぼくのような無名のイラストレーターの絵を気に入ってもらって連載の仕事を依
頼されるなんて、さすが、東京や!と大喜びしました。毎月原稿に書かれてくる東京の町はもうないけれど
、ちょっとでも当時の気分が感じられたらええなぁ、と思って毎月取材に出かけるのは楽しかった。荷風と
いえば「濹東奇譚」が有名で、そんなこともあってか取材に行くのは下町が多く、東京は世田谷あたりしか
知らなかったぼくは浅草や玉ノ井なんて、えらい遠いとこやなぁ、と思いました。ぼくにとっての玉ノ井と
いえば滝田ゆうの「寺島町奇譚」です。「ぬけられます」です。実際に行ってみるとあの頃の建物やどぶ川
はもうなかったけど、こんなとこぬけられるんかいな、という路地だらけでした。そんな取材で何度も来た
ことがある玉ノ井の近くに二十年後に住むことになるなんて思いもしませんでした。結局その連載は三年続
きました。下の絵は「東京人」連載時の挿絵です。

              荷風と東京 放水路.jpg


という訳で久しぶりに「子規と荷風」という展覧会をします。個展ではありません。浜野史子さんという僕
よりもずっと若い気鋭のイラストレーターとの二人展です。浜野さんが子規のことを描き、ぼくが荷風のこ
とを描きます。企画した古い古い友人の日下潤一さんの、大きい絵を描いてほしい、という命令で今まで描
いたこともない大きい木版画を作りました。二十数年前、「東京人」で連載していたときの挿絵も全部展示
します。6月17日には古い古い友人のシンガーソングライター金森幸介さんがこっそりタダで歌ってくれ
ます。20日には関川夏央さんをゲストに迎えてトークショーもあります。下の絵は今回の展覧会のために
描いた大きい絵の一部です。

           子規と荷風.jpg

詳しくはこちら http://www.visions.jp/ex/3616.html

ということで今回のBGMはスティーリー・ダンの ' ドゥ・イット・アゲイン ' です。



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